森永惣吉と村岡安吉とは? わかりやすく解説

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森永惣吉と村岡安吉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/26 20:52 UTC 版)

小城羊羹」の記事における「森永惣吉と村岡安吉」の解説

小城市での羊羹製造諸説あるが、1872年明治5年)ごろに小城市内で会席業を営んでいた森永惣吉(1845年1910年)が大阪虎屋の手代から手ほどき受けた小豆煮方ヒントに、試行錯誤を重ねて羊羹製造至ったのが最初とする説があり、小城市役所羊羹資料館などではこの説を取って紹介している。 惣吉は従来紅い羊羹を「羊羹」の名称で製造・販売するのに加え1898年明治31年)に白羊羹を、翌年には羊羹新たに考案したまた、1894年1895年日清戦争では軍隊酒保で扱う甘味品としても採用された。この時遠く大陸前線まで送られても、他の商品様に品質の劣化がなかったことで小城羊羹名声が更に高まり需要増加小城町内に4、5軒だった羊羹業者徐々に増加し1914年大正3年)には製造戸数29戸、生産量27斤(約162トン)、生産額51,000円を数え同年8月に「小城羊羹製造同業組合」が結成されている。 惣吉が小城羊羹創業者とすれば中興の祖呼ばれるのが村岡安吉1884年1962年)である。農産物問屋営んでいた安吉1899年明治32年)に羊羹づくりに参入安吉機械化いち早く行い生産力増大を果たすと共に、そのころ整備され始めた鉄道着目し駅売り権利得て売り上げ大い伸ばしたほか、佐世保海軍工廠久留米陸軍18師団という陸海九州における一大拠点中間点という地の利生かして軍への納入にも力を入れ更なる販路拡大果たしたまた、販路拡大により他の産地との差別化が必要と考え小城羊羹」の名称を考案してもいる。なお、軍への供給その後続き第2次世界大戦期に海軍御用達として「海の誉ブランド羊羹製造している。戦争の後半になると戦局の悪化に伴い砂糖など物資不足し羊羹製造社の多くが店を閉じたが、虎屋陸軍用の「陸の誉」および海軍用の「海の勲」を製造していた)と共に軍需品として特別待遇をうけ、戦時中通じて羊羹製造続けている。

※この「森永惣吉と村岡安吉」の解説は、「小城羊羹」の解説の一部です。
「森永惣吉と村岡安吉」を含む「小城羊羹」の記事については、「小城羊羹」の概要を参照ください。

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