梶龍雄(かじ・たつお)
本名可児秀夫。1928年(昭3)、岐阜県生まれ。慶応大学卒。
1952年(昭27)、「宝石」に「白い路」発表。
1956年(昭31)、講談社の書下し長編探偵小説全集募集に「白い顔の男」を梶龍男名義で応募し、最終候補作となるが、鮎川哲也に敗れる。
1977年(昭52)、「透明な季節」で、第23回江戸川乱歩賞受賞。また、この作品は「週刊文春」の77年「傑作ミステリーベスト10」の5位に選ばれる。
1978年(昭53)に「小説現代」に発表した「おふくろは霊媒」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1979年版」に収録される。
1980年(昭55)、「遠い季節」が第33回日本推理作家協会賞短編部門の候補となる。
1980年(昭55)に「小説宝石」に発表した「好色の背景」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1981年版」に収録される。
1981年(昭56)に「問題小説」に発表した「色慾の迷彩」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1982年版」に収録される。
1981年(昭56)に「小説宝石」に発表した「ピンクの好きな女」が1982年(昭57)に第35回日本推理作家協会賞短編部門の候補となる。
1982年(昭57)に刊行した「リア王密室に死す」が1983年(昭58)、第36回日本推理作家協会賞長編部門の候補となる。
1982年(昭57)に「小説CLUB」に発表した「アパッシュの女」が1983年(昭58)に第36回日本推理作家協会賞短編部門の候補となる。同時に日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1983年版」に収録される。
1983年(昭58)に「小説宝石」に発表した「毛皮コートの死体」が1984年(昭59)に第37回日本推理作家協会賞短編部門の候補となる。同時に日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1984年版」に収録される。
児童文学や翻訳も手がける。
1990年(平2)、食道癌のため死去。
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