根岸の代々
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/25 01:00 UTC 版)
代目名襲名期間備考初代 三河屋治右衛門 -1765年9月(死去) 初代出来山の次男 宝暦7年10月場所(初めての縦一枚番付の場所)に板元として記載 2代目 三河屋治右衛門 1766年10月- 2代出来山が短期間兼務か 3代目 三河屋治右衛門 1770年7月-1776年10月(死去) 初代か2代目の息子か 4代目 三河屋治右衛門 1776年10月-1812年11月 3代出来山に名跡変更 5代目 三河屋治右衛門 1812年11月-1846年11月(死去) 4代目の手代・安治郎。1800年より4代目と連記、三河屋治兵衛から襲名。 『相撲起顕』を著す 6代目 三河屋治右衛門 1847年-1849年11月(死去) 5代目の手代・鉄治郎。1830年より5代目と連記 巡業番付で根岸鉄二郎と名乗る 7代目 三河屋治右衛門 1850年頃-1862年4月(死去) 5代目の息子 年寄間垣から襲名と推定 8代目 三河屋治右衛門(根岸治三郎) 1862年頃-1886年8月(死去) 正式に年寄となる。根岸部屋を経営。1882年頃年寄根岸に。年寄のトップとして取締編輯人を務める。 9代目 根岸治右衛門 1886年8月-1889年3月(死去) 8代目の息子か。早逝。 10代目 根岸治右衛門 1889年3月-1921年5月(隠居) 8代目の息子。1876年4月22日生まれ。根岸部屋を経営、東京市議も務める。1920年政界疑獄事件で入獄し、全ての公職を辞職、1945年12月69歳で没。 11代目 根岸治右衛門 1921年-1951年5月(返上) 10代目の弟の息子。1910年4月17日生まれ。1921年11歳で襲名。木戸部長、会長秘書を務める。2005年12月18日95歳で没。
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