松本キミ子
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「仮説実験授業研究会#主要な人物#松本キミ子」も参照 松本 キミ子(まつもと きみこ)は1940年5月、北海道生まれの美術教育家である。東京芸術大学彫刻科を卒業後、産休補助教員として小学校・中学校で図画・美術教育に取り組む中で、1975年にキミ子方式を考案。その指導法は美術教育界では受け入れられなかったが、科学教育研究者の板倉聖宣との出会いを契機にキミ子方式は仮説実験授業研究会に紹介され、実践者が増えて急速に広まっていった。大学教授を務める傍ら、美術の授業研究会代表、キミ子方式を楽しむ会代表を歴任。1989年には「キミ子方式」の教育の拠点として「キミ子・プラン・ドゥ」を開設し、「松本キミ子のアートスクール」を通して絵の指導に当たっている。2022年2月23日死去。 主な著作 『絵のかけない子は私の教師』(堀江晴美との共著)仮説社、1982年 『教室のさびしい貴族たち』仮説社、1984年 『絵を描くっていうことは』仮説社、1989年 『三原色の絵の具箱』(堀江晴美との共著)ほるぷ出版、1993年 『ひろびろ三原色 全8巻』ほるぷ出版、1993年 『続ひろびろ三原色』ほるぷ出版、1993年 『宇宙のものみんな描いちゃおう』太郎次郎社、1987年 『はがき絵の描き方』日貿出版社、1988年 『八〇歳の母が絵を描いた』日貿出版社、1993年 『三原色で描く四季の草花』山海堂、1993年 『三原色のフィールドノート』山海堂、1995年
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松本キミ子
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