キミ子方式の発見による美術教育の改革
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「仮説実験授業」の記事における「キミ子方式の発見による美術教育の改革」の解説
「キミ子方式」も参照 1978年に板倉聖宣は松本キミ子と出会い、彼女の美術教育の実践を知った。板倉はすぐに仮説実験授業研究会に松本キミ子の美術の授業を紹介し、仮説実験授業研究会の中に、その独自の絵の授業「キミ子方式」は急速に広まった。 キミ子方式とは、 水彩絵の具の三原色と白のみですべての色を作る。 自然物の場合、輪郭線は描かない。人工物では描くこともある。 描く対象に合わせて一定の手順で部分から描き始めて隣へ隣へと描いていく。 紙の大きさに絵を合わせないで、絵に合わせて紙を切り抜いたり、継ぎ足したりする。 などのこれまでの絵の書き方の常識に反する独自の教え方であった。 板倉がキミ子方式を高く評価したのは「松本さんの実践を見ると、絵の授業でも明らかに授業の法則性を問題にしうることがわかる」と、その「再現可能性」を評価したからであった。板倉はそれまで「芸術の授業となると、先生の個性・能力に依存するところが大きくて、その授業の法則を一般化してとりだすことはなかなかできないだろう」と考えていたのだが、松本キミ子の絵の授業を知って認識を新たにした。板倉はキミ子方式を「繰り返し再現可能な=実験的な研究の積み上げが可能な授業理論」として評価した。さらにその授業を受けた子どもたちが「たのしかった。また描きたい」と非常に歓迎していることから、キミ子方式は「たのしい授業」という点でも評価された。 また、キミ子方式は他の教師でも再現可能で、仮説実験授業研究会の中でキミ子方式が知られるようになってすぐに、キミ子方式の絵の授業をそのまま実践して成果を出した教師が出現した。 仮説実験授業研究会ではその後、科学教育分野の研究だけでなく美術分野でも多くの研究が行われるようになり、毎年開かれている仮説実験授業研究会の全国合宿研究会でも、毎回美術分科会が設定されている。現在では美術教育が研究対象として仮説実験授業研究会の中に定着している。今日までに多くの授業プランが作成されている。
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