東京五輪立役者として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 08:01 UTC 版)
2013年7月号の月刊『文藝春秋』誌上で作家の上杉隆が高井にインタビューを行っている。冒頭上杉は高井のことを『「絶対に自らの手柄を語らない社会革命家」。成功すると「それは石原知事だからできた」、失敗すると「オレの力が足りなかった」と引き取るのである。その高井氏は謙遜して「五輪招致は石原知事だからできたこと」と強調する。だが、私は知っている。東京五輪という大きな構想を都政に持ち込み、その灯火が消えそうになるたびに、その種火を守ったのが高井氏である』と述べ、東京五輪招致に至るまでの舞台裏を高井のインタビューにより詳細に伝えている。 インタビューで高井は、五輪招致のきっかけとなったJOC国際専門委員との出会いからはじまり、数々のエピソードを淡々と解説、分析し、最終的には五輪招致の意義を「卓越・友情・尊敬というオリンピックの価値の実践を「Discover Tomorrow」(未来をつかもう)をスローガンに開催される東京五輪は、向こう七年に渡る大事業となります。この大事業とは、明治維新以来走り続け疲労した制度を根本から刷新し、社会哲学による真の文明成熟国への変革だと思います。百数十年前、西欧から急遽輸入された制度、哲学、文化は平成になっても変わること無く古典のまま未だ固有規制・法として残り、グローバリゼイションにあって日本特殊論ではもはや説明しきれない。来世紀をも見据えた規制撤廃や改革で果たすべき国際社会の中での役割を内外に示し自らが実践することなのです。これこそが石原都政の目指した「東京から日本を変える」ことの最終装置であり、五輪が終わった後に「何か変わったな」と都民・国民が感じることなのかも知れません」ととらえている。
※この「東京五輪立役者として」の解説は、「高井英樹」の解説の一部です。
「東京五輪立役者として」を含む「高井英樹」の記事については、「高井英樹」の概要を参照ください。
- 東京五輪立役者としてのページへのリンク