条件付き返還
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ギンバル訓練場の返還は、1996年12月2日の SACO最終報告「土地の返還」に盛り込まれた措置の一つで、新たなヘリコプター着陸帯を金武ブルー・ビーチ訓練場に建設し、消火訓練施設及び泥土除去施設をキャンプ・ハンセンに新築し移設させた後に、1997年までを目途にギンバル約60ヘクタールを返還するという条件付き返還であった。 SACO最終報告の返還条件 ・代替施設としてヘリコプター着陸帯を金武ブルー・ビーチ訓練場に建設し移設 ・代替施設として消火訓練施設及び泥土除去施設などをキャンプ・ハンセンに建設し移設 ・返還1997度末までを目途に、ギンバル訓練場 (約60ヘクタール) を返還する。 金武町議会は、楚辺通信所の移設先やギンバル訓練場の移設先とされた金武町の負担増大に対し強い反対を表明していたが、2007年4月の防衛局の説明会の後、6月に儀武剛町長が返還条件受入表明を受けいれることを発表した。 2009年11月、金武ブルー・ビーチ訓練場の新規ヘリコプター着陸帯 (LZスワン) を建設。 2011年6月、キャンプ・ハンセンの泥土除去施設を米軍に提供。 2012年7月31日、ギンバル訓練場が返還される。しかし日米地位協定では米軍側に原状回復義務を求めないため、1960年代後半からおよそ半世紀ものあいだギンバルに放置されたままの米軍の冷戦時代の遺物である核兵器要塞メースの巨大なコンクリートバンカーを解体し、ギンバルの土地を整備するために2億4千万もの費用がかかった。
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条件付き返還
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1996年3月の日米合同委員会が合意した「返還」は条件を伴うもので、それは嘉手納弾薬庫地区の東側に日本側が新しい土地と新設ゴルフ場を建設し米海兵隊に提供するという「条件つきの返還」であった。日本側が海兵隊に提供する新しいゴルフ場は、嘉手納弾薬庫地区の旧東恩納弾薬庫で、海兵隊によると。泡瀬ゴルフ場は5,765 ヤードで110エーカーであったが、日本が米軍に提供する新設のゴルフ場は6,800ヤードで247エーカーという格段のグレードアップで、海兵隊 HP は Taiyo Golf Club を、泡瀬ゴルフ場より「何光年も先をいく」ゴルフ場と呼んでいる。泡瀬よりもグリーンは75%も広くなり、二階建てのカジノ併設のクラブハウスや練習場も併設されている。 太陽ゴルフ場 コース: 35.7ha 面積: 170.7ha 18ホール(par72) 泡瀬ゴルフ場の返還と Taiyo Golf Club の提供返還 泡瀬ゴルフ場 キャンプ瑞慶覧 5,765ヤード 110エーカー 2010年に返還 代替施設 太陽ゴルフ場 嘉手納弾薬庫地区 6,800ヤード 247エーカー 2009年に提供
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