本編中のゴーラの歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/18 00:42 UTC 版)
「グイン・サーガの世界観」の記事における「本編中のゴーラの歴史」の解説
パロの首都クリスタルへの奇襲(第一次黒竜戦役)を成功させ、一時はパロを占領下においたモンゴールであったが、やがてパロ国内で生じた反乱に敗れて撤退を余儀なくされる。同時期に起こったモンゴール大公ヴラドの病死という不運もあり、各国連合軍との戦いに敗れたモンゴールは一旦滅亡し、クムの占領下に置かれることとなる。 しかし、クムに捕えられていたヴラドの長女アムネリスが、イシュトヴァーンの手を借りて脱出に成功する。モンゴールの残存勢力をまとめたアムネリスは、モンゴールの首都トーラスを陥落させ、アムネリスは新モンゴール大公としてモンゴール大公国の復活を宣言する。 その後、2度に亘るケイロニア―ユラニア戦役を除けば、しばらくは比較的平穏な時期が続く。が、間もなくユラニアの首都アルセイスで行われた、ユラニアの3人の公女とクムの3人の公子との合同結婚式にて、クム大公の長男タルーと、ユラニア大公の次女ネリイの主導するクーデターが勃発し、ネリイを除くユラニア大公家が全員死亡、クム大公家も次男が死亡するという惨劇が起こる。 それをきっかけとして、タルー・ネリイ連合軍とクム軍との戦いが勃発する。事前にタルーと密約を交わしていたイシュトヴァーン率いるモンゴール軍は当初タルー側の同盟軍として参戦し、クム大公タリオ率いる軍に勝利してこれを討ち取る。だが、密かに匿っていたクム大公の三男タリクを人質とした交渉によって、一転して今度はクムと同盟し、タルー・ネリイ連合軍と戦うこととなる。イシュトヴァーンは難なくこれを打ち破り、ネリイは死亡、ユラニアは滅亡した。 ユラニアに残ったイシュトヴァーンは、妻となっていたアムネリスをアルセイスに呼び寄せ、ゴーラの前皇帝サウルの啓示を受けたとして、旧ユラニアを版図とし、モンゴールを属国とする新ゴーラ王国の建国を宣言、自らゴーラ王として即位する。しかしその直後、傭兵だった頃のイシュトヴァーンのモンゴール軍に対する行為を巡ってモンゴール首脳部とイシュトヴァーンとの間に諍いが起こり、イシュトヴァーンは武力をもってモンゴールを制圧。モンゴールはゴーラ王国の直接支配下に入ることとなった。それに伴い、アムネリスはゴーラの首都イシュタールに監禁され、獄中でイシュトヴァーンの息子を産んだ後に自害した。
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