本書にいたる源氏物語の校本の歴史
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「源氏物語別本集成」の記事における「本書にいたる源氏物語の校本の歴史」の解説
源氏物語は、紫式部による原本は発見されておらずおそらくすでに存在しないと考えられている。しかし源氏物語は日本を代表する古典文学として、古くから部分的にのみ残っているものを含めて多くの写本・版本が存在している。そしてその中に少なからぬ異文が含まれているために、源氏物語を正しく把握し研究するにはきちんとした校本の存在が不可欠である。源氏物語の校本としては、「湖月抄」や「首書源氏物語」といった流布本に河内本などから異文を書き加える形で作られたいくつかの活字本に始まり、1942年(昭和17年)に池田亀鑑によって作成された『校異源氏物語』およびそれを含む形で編纂された『源氏物語大成 校異編』が出来てからはこれが広く使われてきた。しかしながら、この源氏物語大成は、 調査することの出来た写本が1938年(昭和13年)までに存在やその価値が明らかになっており、かつ調査することが可能であったものに限られていたこと 簡明を旨とする編纂方針をとっていたこと。具体的には校合する写本は青表紙本を中心にしており、河内本や別本の採用は限られており、利用が可能であっても校合に利用していない写本も多かったこと。また校異の掲出も青表紙本が詳細に挙げられているのと比べるとしばしば省略されていたこと。 漢字と仮名の使い分け、異体字、音便や仮名遣いの違いなど、意味に影響を与えない異文については触れられていないことが多いこと。 源氏物語の写本の中には当初書かれた本文に対してさまざまな訂正が加えられていることが多いが、そのような情報はほとんど含まれていないこと。 といった作成当時から存在したさまざまな制約やその後の源氏物語の本文研究の進展に伴ってさまざまな問題点が指摘されるようになり、1970年代には「大きな誤りなどはないものの、精度の高い校本とは言い難いもので、これに基づく研究は不可能とは言えないが限られたものにならざるを得ない」。とまで言われるようになってきたため、これに代わる学問的な研究に耐えうる校本の作成が強く求められるようになってきた。当初この「源氏物語別本集成」は、計画の初期段階では上記「源氏物語大成」にちなみ「源氏物語別本大成」の仮称を与えられていた。別本研究の進展し別本研究の重要性の認識が深まるという状況の中で、当初は別本として初めて複製翻刻された陽明文庫本に続いて主要な写本を順次複製翻刻していくことも考えられたが、時間的・経済的その他の理由から容易に出来るものではないため、その時点で最善本と考えられた陽明文庫本を底本にして他の主要な別本の写本の校異を示し、1冊(1組)で主要な別本の写本の本文を一覧できる校本を目指したものである。
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