朝鮮半島のキ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/04 14:01 UTC 版)
7世紀の皇極天皇期に百済の王族「ギョウキ(翹岐)」が日本に亡命していた。6世紀の事跡を記す『日本書紀』「欽明紀」5年条に見える、日本から朝鮮半島に遣わされた「コマナキ(己麻奴跪)」は高麗出身の軍人あるいは官吏の末裔と考えられている。また、5世紀に雄略天皇は百済に「アレナキ(阿禮奴跪)」を遣わし、『日本書紀』神功皇后49年条には百済の将軍「ササナキ(沙沙奴跪)」が記されている。その他、継体天皇23年条には新羅の将軍「イシブレチカンキ(伊叱夫礼智干岐)」が見える。このように朝鮮半島の高麗、百済、新羅では将軍などの称号に「キ」の語尾を付けていることがうかがえる。 そして朝鮮半島で国王は「カンキ(旱岐)」と呼ばれている。卓淳国王「マキンカンキ(末錦旱岐)」、加羅国王「コホカンキ(己本旱岐)」、任那国王「コノマタカンキ(己能末多干岐)」などである。「カン、カーンあるいはハン(汗、旱)」は王号としてモンゴル語族に広く用いられているが、朝鮮半島ではその語尾に「キ」がつく。あるいは朝鮮半島ではなく、日本語に伝えられる時に「キ」が語尾に付けられたとも解釈できる。新羅は古くは「シラ」と呼ばれていたが、日本上代では「シラキ(新良貴、新羅奇、志羅紀)」と発音するからである。しかし『南史』「新羅伝」では官名に「旱支」が見られ、中国中古音で「ハンキ」と発音したと考えられる。「キ」は「城」あるいは「城主」を意味するという見解がある。この説によれば、「ハンキ(旱支)」や「カンキ(旱岐)」は「城を構え、その周辺を支配する軍事的王」という意味になる。
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