有罪の宣告そして焚刑
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 01:43 UTC 版)
フスの判決は7月6日、公会議の参加者を大聖堂に集めた荘厳な場面で宣告された。荘厳なミサと聖餐式の後、フスが大聖堂に連れ込まれた。ローディの大司教が、異端を撲滅する義務について説教を行った。そして、フスとウィクリフが行った異端の一部と、これまでのフスの裁判の報告が読み上げられた。フスは何度か大声で抗議した。キリストに対する訴えまでもが異端的として禁じられたとき、彼は「神と主キリストよ、審査会は私たちを虐げるときに、いつも主なる神を裁きの理由に挙げてきた。それなのに、いまや審査会は自らの行動と法すらも異端と断じようとしている」と叫んだ。そして、フスと彼の論文に対する有罪判決文を読み上げられると、フスは再び「今でも自分の望みは正しく聖書にしたがって裁かれることだけだ」と大声で抗議した。そしてフスはひざまずいて、敵対する全ての人を許すように、低い声で神に祈った。 その後、聖職剥奪が行われた。フスは聖職者の法衣に着替えさせられ、再び主張を撤回するよう求められた。彼が再び断ると法衣を剥ぎ取られ、聖職者としての剃髪は乱され、聖職者の権利は全て剥奪され世俗の力に引き渡されるとの宣言が読み上げられた。フスの頭には「異端の主謀者」と書いた高い紙帽子がかぶせられた。 フスは、武装した男たちによって火刑の柱に連れて行かれた。処刑の場でも彼はひざまずき、両腕を広げ、声高に祈った。フスの告解を聞いて許しを与えよという人もいたが、司祭は、異端者の告解は聞かないし許しも与えない、と頑固に断った。死刑執行人はフスの衣類を脱がし、両手を後ろ手に縛り、首を柱に結び付け、彼の首の高さまで薪とわらを積み上げた。最後になって、ジギスムントの家臣フォン・パッペンハイム伯は、フスに主張を撤回して命乞いするようにすすめた。しかしフスは「私が、間違った証言者に告発されたような教えを説いていないことは、神が知っておられる。私が書き、教え、広めた神の言葉の真実とともに、私は喜んで死のう」と述べて断った。火がつけられると、フスは声を高めて「神よ、そなた生ける神の御子よ、我に慈悲を」と唱えた。これを3回唱え「処女マリアの子よ」と続けた時、風が炎をフスの顔に吹き上げた。そして、フスを悪魔とみなす敬虔な老婆がさらに薪をくべると、“O, Sancta simplicitas”(おぉ、神聖なる単純よ)と叫んだ。彼はなおも口と頭を動かしていたが、やがて息をひきとった。フスの衣類も火にくべられ、遺灰は集められて、近くのライン川に捨てられた。
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