月岡芳年・歌川国虎
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「甲府道祖神祭礼」の記事における「月岡芳年・歌川国虎」の解説
月岡芳年は「一魁斎芳年」の筆名で「太功記 佐久間盛政 羽柴秀吉を狙ふ」を制作している。慶応年間の作。福富太郎コレクション資料室所蔵。 豊臣秀吉(羽柴秀吉)の生涯を題材とした作品で、天正11年(1583年)の賤ヶ岳の戦いにおいで、秀吉が柴田勝家の甥にあたる佐久間盛政と対峙する場面を描いている。寸法は縦195.0センチメートル、横900.0センチメートル。若尾謹之助『甲州年中行事』によれば、柳町四丁目に飾られたという。1930年(昭和5年)には内田實が『廣重』において記録している。幕絵は一時所在不明となり、1976年(昭和51年)に再発見される。 甲府の古老の聞き取り調査によれば、他に子守が嫌になった秀吉が逃げ出す様子を描いた図があったという。 月岡芳年(1839年(天保10年) - 1892年(明治25年))は江戸新橋に生まれ、歌川国芳に入門すると安政元年(1860年)頃から盛んに活動し、特に怪奇的な作品を多く手がけた。1872年(明治5年)頃には一時精神を病むが、明治後も『錦絵新聞』の挿絵などで活躍した。 芳年は慶応年間に道祖神幕絵制作を目的に甲斐を訪れているほか、明治期にも来訪している。山梨県内の作例として、南アルプス市の新津家に伝来する新津家伝来肖像画に含まれる新津家当主を描いた「新津清右衛門正光像」などの肉筆画がある。 1938年(昭和13年)・1953年(昭和28年)に開催された輔仁倶楽部主催「峡中浮世絵展覧会」では屏風絵や襖絵など、多くの芳年作品が出展されておりいる。この展覧会が開催された年代は、出展作品に象と見立文殊菩薩を描いた金屏風に干支の「辛未」が記されていることから1871年(明治4年)にあたり、芳年もこの年に山梨を訪れていたと考えられている。
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