昭和期の現存建築の損失
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/16 06:14 UTC 版)
1930年および翌年の1931年、国宝保存法で城郭建築200棟が国宝に指定。現存天守は指定を受けなかった彦根城天守を含めて19棟を数えた。しかし、日本陸軍の駐屯地となっていた城跡や城下町から発展した各都市は太平洋戦争末期、アメリカ軍の空襲の目標とされた。1945年には、爆撃や広島市への原子爆弾投下により、名古屋城、岡山城、和歌山城、広島城、福山城、大垣城の天守6棟を含めて1930年以降に国宝(現行の文化財保護法の国の重要文化財に相当)に指定されていた現存建築60棟ほどが損失した。戦後、空襲などを免れた城郭建築の内、1949年に松山城の筒井門とその周囲の建物3棟が焼失。同じ年に松前城では町役場の火災から延焼して天守を焼失した。 現在は、姫路城や高知城などの現存12天守のほかに、大坂城や名古屋城など各地に櫓や門、塀、御殿など一部が現存する。国の重要文化財に指定されているものでは、城門は62棟、櫓は61棟ある。このほかにも、府県・市町村の文化財に指定されている城郭建築がある。またさらには姫路城、古都京都の文化財の一つとして二条城が現存建築群を含めてユネスコの世界文化遺産に登録されている。国指定の史跡としては城柵、城館、グスクを含めて約200箇所ある。
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