昭和後期の桜島の爆発と集団移住とは? わかりやすく解説

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昭和後期の桜島の爆発と集団移住

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 15:22 UTC 版)

有村町」の記事における「昭和後期の桜島の爆発と集団移住」の解説

昭和50年代後半から昭和60年代にかけて桜島南岳活動が活発となり、有村町では民家噴石落下し自動車フロントガラス家屋破損する被害多数発生した1984年昭和59年7月21日には桜島南岳において爆発発生した。この爆発により0.5メートルから1.5メートルほどの火山弾有村町落下し粉砕した噴石13世帯直撃したほか、住宅火災11発生し国道224号落下した火山弾電力線切断し桜島全域一時停電した大量火山灰有村町降り注ぎ1984年昭和59年)の年間降灰量は1平方メートルあたり59キログラムとなった爆発翌日7月22日には有村町内会は緊急総会開き、「ここに住み続けると命を取られる」として集団移住決議し鹿児島市移住先の確保及び移転費補助求め陳情提出した有村町住民のうち51世帯のうち21世帯移住希望した。さらに翌年1985年昭和60年7月6日には1メートルほどの噴石民家倉庫直撃する被害発生した陳情受けた鹿児島市住民安全確保のため大正大噴火以来となる集団移転事業実施することとなった当初防災のための集団移転促進事業係る国の財政上の特別措置に関する法律基づいた国からの補助がある「防災集団移転促進事業」による集団移転検討したが、全戸桜島島外への移転原則とする同事業の基準一致しなかったことから鹿児島市単独事業として実施された。 1987年昭和62年3月より対岸薩摩半島にある星ヶ峯団地現在の星ヶ峯)に集団移住が行われ、22世帯51人が移住した。また1992年平成4年)には3世帯5人が移転し、他にも隣接する古里町や、鹿児島市街地にある紫原団地現在の紫原)への移住行われた集団移転事業によって全体の6割に当たる56人の住民移転が行われた。1986年昭和61年)には94であった有村町人口1995年平成7年)の国勢調査時には37名にまで減少した

※この「昭和後期の桜島の爆発と集団移住」の解説は、「有村町」の解説の一部です。
「昭和後期の桜島の爆発と集団移住」を含む「有村町」の記事については、「有村町」の概要を参照ください。

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