映画『ベアテの贈りもの』
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「ベアテ・シロタ・ゴードン」の記事における「映画『ベアテの贈りもの』」の解説
記録映画『ベアテの贈りもの The Gift from Beate』は、2002年暮れのクリスマスの夜、赤松良子(元労働大臣・文部大臣)や元ソニー社員・落合良らが「ベアテも八十を過ぎた。彼女が生きているうちに映画でも作りたいね」と雑談していた際、居合わせた岩波ホール総支配人・高野悦子が、映画は作ろうと思えば作れると即答したのがきっかけとなり、全国に呼びかけて製作された。 当初から藤原智子の監督起用は決まっていたが、製作資金がネックとなっていた。2003年11月の東京国際映画祭・女性映画祭のパーティーの席上、製作資金の大口出資をもちかけた赤松良子と、その要請を二つ返事で引き受けた岩田喜美枝(元労働省雇用均等児童家庭局長・現資生堂取締役執行役員)が中心となって製作委員会(代表が赤松・事務局長が岩田)が発足。製作委員会は、歴代労働省婦人少年局長、女性有識者、大学教員、草の根運動の女性らを中心に拠金を広く呼びかけた。 監督として正式に依頼を受けた藤原智子は、2004年春から製作を開始、半年で完成させ、2005年4月30日に東京都千代田区神田神保町の岩波ホールで封切り、全国で順次上映。 内容は、戦後の日本女性が憲法24条をどう受けとめたか、ベアテによる草稿のうち削除された部分はどう法的整備がされてきたかを焦点に、ベアテの両親、生い立ち、戦争経験、日本国憲法起草への参加のほか、山川菊栄(労働省初代婦人少年局長)、市川房枝(元参議院議員)、ピアニストであった父レオの教え子や、労働省婦人少年局局長時代に男女雇用機会均等法を成立させた赤松良子、難民高等弁務官・緒方貞子などさまざまな動きやその行動と言動を紹介することにより、戦後の女性史を概観している。 藤原智子監督・脚本『ベアテの贈りもの The Gift from Beate』「ベアテの贈りもの」製作委員会(赤松良子代表)・日本映画新社、企画:赤松良子/岩田喜美枝/落合良
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