明治後期-昭和初期の江戸前ずし
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/29 12:37 UTC 版)
「江戸前寿司」の記事における「明治後期-昭和初期の江戸前ずし」の解説
江戸時代より明治時代の東京にあってコレラが頻繁に発生したことや、文明開化の旗印のもと肉食が流行を極めた裏側で漁業や生魚の料理が蔑視される風潮があったことで、握り寿司の人気は停滞、また火を通した具をタネとする傾向がみられた。だが、ここにある変化が訪れる。 1897年頃から製氷業者が増えた事から氷の冷蔵庫を使用する寿司屋が増え、また明治の末あたりからは電気冷蔵庫を備える店も出てきた。近海漁業の漁法や流通の進歩もあって、生鮮魚介を扱う環境が格段によくなった。江戸前握りずしでは、これまで酢〆にしたり醤油漬けにしたり、あるいは火を通したりしていた素材も、生のまま扱うことが次第に多くなっていった。種の種類も増え、大きかった握りも次第に小さくなり、現代の握りずしと近い形が整ってきた。江戸前寿司が関東以外にも広まった大きな一因として、関東大震災で罹災した職人の移住がある。
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