明治後の松聲堂
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/19 13:43 UTC 版)
明治維新後には1869年(明治2年)の「府県施政順序」において小学校を設置する方針が固まり、同年4月12日には松聲堂、由学館、興譲館のほか八代郡市川大門村の「小学校」、および巨摩郡台ケ原村(北杜市白州町台ケ原)の「郷学校」の5校が文部省に具申されている。 この段階では山梨県内においてまだ郷学や私塾、小学校や寺子屋が混在した状態で、同年7月には西野村が甲府御役所に西野手習所を「小学校」と改称することを願い出ている。県では甲府の徽典館の主導により「小学区」の基準を定める方針であったため、松聲堂は郷学として徽典館の指示を受けるように命じられている。 1872年(明治5年)の学制発布に伴い正式に公立学校に編入され、以後幾度かの変遷を経て、現在の南アルプス市西野に所在する南アルプス市立白根東小学校となっている。松聲堂跡には松井渙斎留別の詩が刻まれた石碑が立っている。
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