明治後の展開
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/16 07:51 UTC 版)
明治に入ると封建制度が廃され、武家に納めた分の代金が徴収できず財政難に陥ったが、蕎麦屋に新たな販路を見出し、苦境を乗り越えた。 明治中期には灘に自前の蔵を持ったが、間もなく東村山に移転した。 明治17年(1884年)に300年近く店を構えていた鎌倉河岸を離れ、神田美土代町二丁目1番地(現・内神田一丁目13-1)へ移転した。ただし口伝では関東大震災後の移転といい、不明確な点が残る。さらに東京大空襲で店舖や史料共々消失し、終戦後も土地がモータープールとしてGHQの接収を受けたため、千代田区猿楽町に移転し、現在も当地で営業を続ける。 美土代町の土地が戻されると、ビルを建て、有限会社豊島屋ビル(2018年1月に有限会社神田豊島屋に商号変更)にこれを管理させた。 2020年7月には神田錦町の東京電機大学神田キャンパス跡地に完成した複合施設「KANDA SQUARE」内に立ち飲み居酒屋を併設した店舗「豊島屋酒店」を開店した。
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