日野金丸の伝説とは? わかりやすく解説

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日野金丸の伝説

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/14 07:53 UTC 版)

護国之寺」の記事における「日野金丸の伝説」の解説

上記の鉢に関して次のような伝承がある。聖武天皇東大寺の大仏造立するため、優れた仏師探すための使者日本各地派遣するその中で美濃国派遣され使者芥見(現岐阜市)の願成寺滞在した時、夢の中で、「明日の朝、最初に出会った人物探している人物である」とのお告げ聞く翌朝美濃国雄総(現岐阜市)で使者出会ったのは、川で牛を洗っていた日野金丸(ひのかねまろ)という童子であった使者の前で、金丸その場粘土仏像作る。その出来良さから使者金丸奈良連れて行く金丸大仏建立責任者として活躍する大仏落慶法要最中、突然、紫雲現れ、空から音楽流れ出した。そして空中から鉢が現れた。空から「釈尊がこの大仏造立功績をたたえ、釈尊由来の鉢を授けることとなった」という言葉聞こえてきた。聖武天皇功績のあった日野金丸にこの鉢を授けた金丸はこの鉢を納めるために、故郷護国之寺建立したという。日野金丸死後十一千手観世音菩薩像となり、護国之寺本尊となったとも伝えられている。 金丸については、次のような言い伝えもある。1970年代この辺り(岐阜市日野)の郷土史について研究していた教師山田)の話によると、金丸(金王丸)は護国之寺長良川はさんだ南(左岸)側にある日野(昭和初期までは右岸側の一部日野村であった)の童子故に日野金丸)で、お坊様使者)が来た時に作った仏像田んぼの土で作ったということである。大仏建立貢献し授かった鉢を、初め地元建てたお堂納めていたが、長良川出水時に流されそうになったことから、対岸高台移したという。また、お堂があったとされる地区は、今でもその時名残から堂後(どううしろ)と呼ばれている。

※この「日野金丸の伝説」の解説は、「護国之寺」の解説の一部です。
「日野金丸の伝説」を含む「護国之寺」の記事については、「護国之寺」の概要を参照ください。

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