日野資康の室
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『教言卿記』によると、応永14年(1407年)1月に、日野康子・日野重光らの母である池尻殿が従三位に叙されている。義満四十九日の諷誦文を捧げた「池尻三品禅尼慈隆」は、この日野資康室。応永33年8月21日死去した(『薩戒記』)。 なお、応永31年(1424年)に資康の「妾」で、足利義持正室日野栄子の母、西向殿と呼ばれる女性が70歳で没しているが、これは別人と考えられる。
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