日活直営・岸和田日活の時代
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「岸和田日劇」の記事における「日活直営・岸和田日活の時代」の解説
大阪府岸和田市の中心地、南海電気鉄道南海本線岸和田駅の駅前通りから、南へ入った路地でにぎわう鍛治屋町と呼ばれる地域、紀州街道に面した北町195番地(現在の北町8番地5号)の地にそもそも建てられた映画館は、岸和田大映という名称であり、1957年(昭和32年)4月24日に浅原茂作が代表を務める同和興行株式会社(のちの同和商事株式会社)が新築、開館した木造二階建、観客定員数350名、興行系統は大映の二番館であった。同館の位置した鍛治屋町、あるいは紀州街道が古城川をまたぐ欄干橋周辺には、同館のほか、戦前から存在する山村劇場(同年改称して岸和田東映劇場、経営・大岸静)、電気館(のちの岸和田電気館、経営・関西映興)があり、同市内にはほかに、堺町の岸和田館(経営・山口藤次郎)、下野町の吉野倶楽部(経営・山路美晴)、本町の岸和田東宝映画劇場(経営・東劇興業)、宮本町のセントラル劇場(のちの岸和田東宝セントラル劇場、経営・山口藤次郎)、岡山町の山直劇場(経営・西川輝男)、春木泉町の春陽館(経営・夜明藤一)、と同館を含めて合計9館が存在した。 同館を経営する同和興行は、1963年(昭和38年)、大北町25番地1号(現在の大北町1番地9号)に映画館を新設し、これを岸和田大映とした。それとともに、日活と直営館契約を行なって同館をそのまま貸出し、同館を岸和田日活と改称している。同館の経営は同和興行から日活の興行子会社である太陽企業に変わり、支配人は日活の岩永保弘、観客定員数315名、興行系統は日活の封切館となった。同年の日活は、吉永小百合主演の『伊豆の踊子』(監督・西河克己、同年6月2日公開)、石原裕次郎・浅丘ルリ子主演の『夜霧のブルース』(監督・野村孝、同年6月30日公開)、あるいは今村昌平監督の『にっぽん昆虫記』(同年11月16日公開)、鈴木清順監督の『悪太郎』(9月21日公開)あるいは『関東無宿』(同年11月23日公開)といった映画を公開している。この時期、同市内の映画館は世代交代の時期に来ており、1961年(昭和36年)には山直劇場(岡山町12番地、経営・西川輝男)が、1962年(昭和37年)には岸和田東宝映画劇場(本町219番地1号、経営・照屋潔)、春陽館(春木泉町1560番地、経営・向井克巳)、吉野倶楽部(下野町517番地、経営・楠原エイ)の4館が閉館し、同市内の映画館は、岸和田大映の新築移転と日活直営の岸和田日活への転換を経て、9館あった映画館が6館に減っていた。
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