日活直営・岸和田日活の時代とは? わかりやすく解説

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日活直営・岸和田日活の時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/24 06:49 UTC 版)

岸和田日劇」の記事における「日活直営・岸和田日活の時代」の解説

大阪府岸和田市中心地南海電気鉄道南海本線岸和田駅駅前通りから、南へ入った路地でにぎわう鍛治屋町呼ばれる地域紀州街道面した北町195番地現在の北町8番地5号)の地にそもそも建てられ映画館は、岸和田大映という名称であり、1957年昭和32年4月24日浅原茂作が代表を務め同和興行株式会社(のちの同和商事株式会社)が新築開館した木造二階建観客定員350名、興行系統大映二番館であった。同館の位置した鍛治屋町、あるいは紀州街道古城川をまたぐ欄干橋周辺には、同館のほか、戦前から存在する山村劇場同年改称し岸和田東映劇場経営大岸静)、電気館(のちの岸和田電気館経営関西映興)があり、同市内にはほかに、堺町岸和田館経営山口藤次郎)、下野町吉野倶楽部経営山路美晴)、本町岸和田東宝映画劇場経営東劇興業)、宮本町セントラル劇場(のちの岸和田東宝セントラル劇場経営山口藤次郎)、岡山町山直劇場経営西川輝男)、春木泉町春陽館(経営夜明藤一)、と同館を含めて合計9館が存在した。 同館を経営する同和興行は、1963年昭和38年)、大北町25番地1号現在の大北町1番地9号)に映画館新設し、これを岸和田大映とした。それとともに日活直営契約行なって同館をそのまま貸出し、同館を岸和田日活改称している。同館の経営同和興行から日活興行子会社である太陽企業変わり支配人日活岩永保弘、観客定員315名、興行系統日活封切館となった同年日活は、吉永小百合主演の『伊豆の踊子』(監督西河克己同年6月2日公開)、石原裕次郎浅丘ルリ子主演の『夜霧のブルース』(監督野村孝同年6月30日公開)、あるいは今村昌平監督の『にっぽん昆虫記』(同年11月16日公開)、鈴木清順監督の『悪太郎』(9月21日公開)あるいは『関東無宿』(同年11月23日公開)といった映画公開している。この時期、同市内映画館世代交代時期来ており、1961年昭和36年)には山直劇場岡山町12番地、経営西川輝男)が、1962年昭和37年)には岸和田東宝映画劇場本町219番地1号経営照屋潔)、春陽館(春木泉町1560番地経営向井克巳)、吉野倶楽部下野町517番地経営楠原エイ)の4館が閉館し、同市内映画館は、岸和田大映新築移転日活直営岸和田日活への転換経て、9館あった映画館が6館に減っていた。

※この「日活直営・岸和田日活の時代」の解説は、「岸和田日劇」の解説の一部です。
「日活直営・岸和田日活の時代」を含む「岸和田日劇」の記事については、「岸和田日劇」の概要を参照ください。

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