日活~大映へ
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同年4月、「千恵プロ」は解散、プロダクションごと日活京都撮影所に招かれ、石本も同撮影所に入社した。 日活京都撮影所でも、片岡の主演作を中心に手がけ、片岡と歌手のディック・ミネが共演したマキノ正博監督のオペレッタ『弥次喜多道中記』(1938年)や『弥次喜多 名君初上り』(1940年)なども担当している。 1941年(昭和16年)1月の戦時統合による大映への合併の際も、片岡や稲垣とともに大映に残り、『独眼龍政宗』(1941年)を皮切りに、第二次世界大戦のさなかにも撮影技師をつとめつづけた。戦後間もない1945年(昭和20年)秋には、阪東妻三郎主演、丸根賛太郎監督の傑作『狐の呉れた赤ん坊』の撮影を手がけ、賞賛を浴びた。
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