日本最古・最新の離縁状
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/16 09:14 UTC 版)
離縁状の起源について、1965年には石井良助が『江戸の離婚』において、上方で刊行されていた仮名草子の分析から関西では明暦元年(1655年)以前から三行半方式の離縁状が存在し、元禄年間に一般化したと指摘した。 江戸時代には女性が現金収入を得る手段である養蚕が発達した甲斐国(山梨県)において離縁状が多く残されており、甲斐国巨摩郡落合村(南アルプス市落合)に伝来する元禄9年(1696年)の本文五行の離縁状は国内最古のものと知られていた。これは表題が「かまい御無座候手間状之事」の手間状。本文は五行で、差出人には夫とともに息子の署名があり、内容では離縁した妻を他男の妾として譲ったことが記されている。 2008年には福井県において貞享3年(1686年)の年記を持つ離縁状が確認され、これを塗り替えるものとして注目された。これは三行半の去状で、印章が実物でないことから原本ではなく写本であることが指摘される。 2014年(平成26年)3月には東京女子大学准教授・髙橋修、縁切寺満徳寺資料館名誉館長・高木侃(両者の肩書は2014年時点)による調査で、山梨県甲府市の個人所蔵、旧八代郡楠甫村(山梨県市川三郷町)に伝来する離縁状が、国内最古の年号である寛文7年(1667年)9月6日をもつことが確認された。文書の寸法は縦27.3センチメートル、横38.3センチメートル。本文は六行で、表題はない。内容は離婚を見越して事前に条件を記す「先渡し離縁状」と呼ばれる形式で、「三行半」の書式が成立する以前の離縁状として注目されている。 一方、最新の離縁状については1917年(大正6年)のものが知られていたが、高木は1940年(昭和15年)の離縁状を報告している。
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