日本史における王権
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/22 17:33 UTC 版)
古代史学者の山尾幸久は「王権」を、「王の臣僚として結集した特権集団の共同組織」が「王への従属者群の支配を分掌し、王を頂点の権威とした種族」の「序列的統合の中心であろうとする権力の組織体」と定義し、それは「古墳時代にはっきり現れた」としている。一方、白石太一郎は、「ヤマトの政治勢力を中心に形成された北と南を除く日本列島各地の政治勢力の連合体」「広域の政治連合」を「ヤマト政権」と呼称し、「畿内の首長連合の盟主であり、また日本列島各地の政治勢力の連合体であったヤマト政権の盟主でもあった畿内の王権」を「ヤマト王権」と呼称して、両者を区別している。その中で具体的な出雲の地域における王権の存在を示す事例として、意宇郡安来郷の語部の存在を指摘しているもの[誰?]もある。 また、山尾によれば、 190年代 - 260年代 王権の胎動期。 270年頃 - 370年頃 初期王権時代。 370年頃 - 490年頃 王権の完成時代。続いて王権による種族の統合(490年代から)、さらに初期国家の建設(530年頃から) という時代区分を行なっている。 王権に類似する用語である「朝廷」は、「天皇の政治の場」、「天皇が政治を行う場所」という限定された意味であるのに対し、「王権」はまさに王の政治的権力を表すところから「朝廷」よりも広い意味を有している。また、「王権」という言葉を近代的な意味合いを帯びた「国家」という言葉を避けた表現とする見方もある。例えば、上島享は「中世王権」の確立として院権力の出現を挙げており、今谷明も、絶対主義化と中央集権を進める足利義満の権力を「室町の王権」と呼称している。
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