日本の馬具
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 08:39 UTC 版)
日本列島では古墳時代の4世紀後半から5世紀にかけて家畜化された馬が伝来し、馬具も日本列島へもたらされた。古墳時代には古墳の副葬品として馬骨や馬歯とともに金属製の馬具が出土しており、中には馬具を装着したまま埋葬された馬遺体も見られる。また、埴輪(はにわ)には動物を形象したものが見られ、馬を形象した埴輪馬(馬形埴輪)も存在し、各種の馬具を装着した姿として表現されている。 中世には人が座すために置かれる鞍骨を含め、鐙や腹帯など馬具一式を総称して「鞍」と呼び、同時に狭義として鞍骨のみを指して鞍とも呼んでいた。鞍は使用する馬具の組み合わせによって唐鞍・移鞍・大和鞍・水干鞍・軍陣鞍・六位鞍などに区別されている。貴族の時代には身分・官職によって使用できる馬具やその装飾(料)に規定があり、朝儀用の装飾豊かな唐鞍や移鞍は殿上人の官馬に着けられ、六位以下の官人や一般の武士が使用する地味な装飾馬具を六位鞍と呼んだ。鎌倉時代以降の武士の時代に入ると、実用的な大和鞍や軍陣鞍・水干鞍が主流となり、新たな身分秩序に応じた料の規定が設けられた。室町以降になると貴族は権威は失墜し、半士半農民によって戦時以外の平時における農耕馬や山野路での運搬用の馬方(馬子)の需要が見出された。鼻先に付け横木に繋いでおく鼻捻(びねん・はなねじ)棒やももろい(腿牢・腿篭:ももろうとも言う)という脛につけ腿を動けなくする制御用の馬具が出てきた。その他にも馬が長時間の走行で疲れ腿が鬱血した際に瀉血用の馬針(刃針:ばしん)が用いられた。
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