日本の騎手の日本国外への遠征
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/12 09:23 UTC 版)
「日本の競馬」の記事における「日本の騎手の日本国外への遠征」の解説
日本の騎手が日本国外へ遠征した例として最古の記録は1909年の日露大競馬会におけるものである。 戦後は前述のように保田隆芳がハクチカラのアメリカ遠征に帯同したのが初の海外遠征である。保田はこの際にモンキースタイルを習得し、帰国後日本で実践したところそれを真似る騎手が続出、日本においてモンキースタイルによる騎乗が主流となった。 その後は野平祐二、岡部幸雄、武豊らが積極的に日本国外へと遠征した。特に野平と武は日本国外への長期間滞在も試みた。道川満彦や横山賀一、藤井勘一郎らのように居所を完全に日本国外に移して活動する者も現れ、道川は1989年にシンガポール競馬のリーディングジョッキーとなる活躍を見せた。2007年以降は韓国で導入された期間限定騎乗を利用した同国への遠征が盛んで、倉兼育康、内田利雄、渡瀬和幸などが遠征を行った。 日露大競馬会を除けば、日本の騎手が日本国外の競走で初めて勝利を挙げたのは1959年で、オーストラリアで行われた国際競走において野平祐二が達成した。日本国外の重賞を初めて勝利したのは1991年で、武豊がアメリカのサラトガ競馬場で行われたセネカハンデキャップ(G3)で達成した。G1レースを初めて優勝したのは1994年で、武豊がフランスのロンシャン競馬場で行われたムーラン・ド・ロンシャン賞で達成した。
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