日本における反響
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本作が販売された1993年当時の日本ではインターネットがあまり一般的ではなく、日本人が海外のゲームの情報を入手するのは簡単ではなかった。それでも、ニフティサーブなどのパソコン通信サービスにおける海外ゲームのフォーラムにて本作のシェアウェア版(体験版に相当)が公開されており、DWANGOでの対戦プレイを楽しんだり、WADをダウンロードして遊ぶファンもいた。 また、日本においては、FPSという単語が一般的ではなかったことから、これらのゲームは「DOOM系」と呼ばれていた。 4Gamer.netの奥谷海人は2013年の記事の中で、LANによるマルチプレイモードやWADの存在が画期的だったと述べている。
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日本における反響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 11:10 UTC 版)
日本では、1988年にセガ・エンタープライゼス(現・株式会社セガ。以下「セガ」)から発売されたアーケード版(セガ・システム16版)の人気により、浸透した。当時はまだ操作法が確立されていなかったが、このシステム16版の登場以降は同作のものが日本国内におけるデファクトスタンダードとなり、その影響力から特に「セガテトリス」とよく呼ばれる(2000年にアーケードとドリームキャストでこれと同名のゲームソフトが発売されているものの、普通は1988年にリリースされたシステム16版を指す場合が多い。この2000年版はよく「新セガテトリス」と呼ばれる)。このアーケード版は、後年においても日本各地の多くのゲームセンターで稼動している。『別冊宝島』には、1989年のサブカル・流行の1つとして『テトリス』が紹介されている。 その後、1989年に任天堂から発売されたゲームボーイ版も、「いつでもどこでも好きに遊べる」ことと「対戦プレイもできる」という点で大人気となり、国内出荷本数約424万本と、ゲームボーイ最初期の作品ながら、ゲームボーイソフト単体での史上売上1位を記録した。 なお、『テトリス』の持つ数学性、動的性、知名度、並びに実装の平易性から、『テトリス』をゲームプログラミングの練習題材として用いられる例がしばしば見られる。
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