日本での拡散の経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/20 10:08 UTC 版)
1988年に奈良県の池原貯水池に、地元の漁業協同組合の承認の元で「フロリダバス」が放流されたという記録があるが(西山、1988)、1990年代前半に池原貯水池のバスを遺伝的に調べたところフロリダバスの遺伝子は発見されず (Yokogawa, 1998)、前述の養殖「フロリダバス」の事例から類推しても、1988年に放流されたものが本当にフロリダバスだったのかどうかは疑問である。池原貯水池へのバスの放流は、当時の法律に照らせば違法性はなかったと思われるが、現行の奈良県漁業調整規則第二十八条でオオクチバス属魚類の移殖放流は禁じられている。 その後1990年代後半になって池原貯水池のバスのミトコンドリアDNAを調べた結果、いくつかの個体からフロリダバスの遺伝子(ハプロタイプ)が検出され、形態的特徴も考慮して池原貯水池のバスはオオクチバスとフロリダバスの交雑集団であることが示された(北川ら、2000)。 これらのことから、池原貯水池にフロリダバスが実際に侵入したのは1990年代後半か、あるいは1988年に放流されたものが真のフロリダバスだったとすると、1990年代後半になって貯水池内で顕著に繁殖してきた可能性が考えられる。 2000年代前半になると、日本最大の湖である琵琶湖において湖内の多くの地点のバスからフロリダバスの遺伝子(アイソザイム系)が頻繁に検出された (Yokogawa et al, 2005)。さらにミトコンドリアDNAの分析によってもそれが裏付けられた(高村,2005)。このような現象が自然に発生することはあり得ず、明らかに人為的なフロリダバスの大規模放流が行なわれたものと推定される。交雑によってオオクチバスあるいはフロリダバスの遺伝子が選択的に残存するメカニズムがないとすれば、侵入したフロリダバスは従来生息していたオオクチバスに匹敵する数量であったと推定される。現在、琵琶湖内ではオオクチバスとフロリダバスの交雑が大規模に進行しつつあり、近い将来にはすべて交雑個体となるであろう。 この琵琶湖に大量に侵入したフロリダバスの由来について、それが池原貯水池の個体群から持ち込まれた可能性は以下の理由によって否定される (Yokogawa et al, 2005)。 現在の琵琶湖のバスの遺伝子頻度から推定すると、琵琶湖に侵入したフロリダバスの数量は琵琶湖に先住していたオオクチバスのそれに匹敵すると考えられるが、池原貯水池にはそのような大量のバスは存在しない。 琵琶湖では、遺伝子型から判断して純粋なフロリダバスと推定される個体も出現するが、池原貯水池の個体群は交雑個体ばかりで純粋なフロリダバスは存在しない。 池原貯水池の個体群で低頻度にみられる遺伝子が、現在の琵琶湖の個体群からは検出されない。 さらに最近では、近畿地方の池原貯水池や琵琶湖とは別水系の湖沼でもフロリダバスの遺伝子が確認されており(北川ら、2005)、フロリダバスは拡散の傾向を見せている。
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