新民党の分裂
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野党は大統領の選出方法を従来の間接選挙から有権者による直接選挙へと改めることを強く主張した。これに対し、政府与党は議院内閣制改憲を提案し、野党の直選制要求は認めない姿勢を示した。政府の議院内閣制改憲に対し、1986年12月、李敏雨総裁は言論の自由や政府の中立、地方自治の実施、公正選挙保証など7項目の民主化要求を政府が受け入れることを条件としながら議院内閣制改憲に肯定的な姿勢(李敏雨構想)を示した。これに対し金泳三・金大中が強く反発、党内は議院内閣制改憲受け入れを巡って事実上の分裂状態に陥った。 あくまで直選制を求める金泳三と金大中は、新党結成を宣言(1987年4月8日)、新民党議員69名(上道洞系37名、東橋洞系32名)で「統一民主党」(民主党)を結成し、金泳三が総裁に就任した(4月9日結成準備大会、5月1日結成大会)。結果、新民党は野党第1党の座から転落することになり、民主化後に行われた国会議員選挙直後に解党した。 表4:統一民主党結成後の国会議席数変動状況党派1986年4月9日現在1987年4月29日現在備考議席数議席率議席数議席率民主正義党 148 53.82 147 53.65 統一民主党 66 24.29 1987年4月13日創党発起人大会 4月29日「統一民主同友会」で院内交渉団体登録 5月1日創党大会 5月2日政党登録 新韓民主党 90 32.73 24※ 8.76 1985年12月31日、議員12名が離党(102→90)。離党した勢力は翌86年8月16日、民衆民主党(民主党)を結成。 1987年4月8日、両金(金大中・金泳三)が新党結成を宣言。74名が新民党を脱党(90→16名)。 4月29日、民衆党議員が新民党に復党。 ※統一民主党の結成大会が行われた5月1日時点では28名。 韓国国民党 21 7.64 21 7.64 無所属・その他 16 5.84 16 5.84 民主韓国党(3名)含む 出典:국회사무처(大韓民國國會事務處)『대한민국국회 60년사(大韓民國國會60年史)』、591頁、교섭단체의 구성인원 및 비율(交渉団体の構成人員および比率)と、韓国言論財団運営の「KINDS」(Korea Integrated News Database System)より検索した新聞記事を元に作成。
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