新民主主義党の党首選挙
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「アントニス・サマラス」の記事における「新民主主義党の党首選挙」の解説
新民主主義党が2009年ギリシャ議会総選挙(英語版)にて惨敗した後、コスタス・カラマンリス党首が辞意を表明。党首選挙を実施するよう促し、サマラスが立候補した。初期の世論調査では本命候補であったドラ・バコヤンニ前外務大臣・前アテネ市長と接戦を繰り広げた。その後間も無くもう1人の党首選挙候補者で前政権で閣僚を務めていたディミトリス・アヴラモポロウス(英語版)が党首選挙から撤退し、その代わりにサマラスを支持すると表明した。党大会では前例を踏襲せず、新しい党首を全国的規模の党員投票で決めることを決定した。サマラスの支持率は急上昇し、大本命として党首選挙を終えた。 2009年11月30日早朝、サマラスは新民主主義党の新党首に選出された。初期の段階でサマラスの勝利はほぼ決定的なものとなり、対立候補であったバコヤンニは敗北を認め、サマラスに祝福の電話をかけた。党本部での演説で党首選出を受諾し、イデオロギー・組織の幅広い改革を行い、再び多数の支持を得ることを目指すことを公約した。2010年5月にバコヤンニは党の公式見解に反旗を翻し、ヨーロッパ連合と国際通貨基金による融資の前提となる緊縮財政政策に賛成したことでサマラスに党を除名されることになる。 サマラスが党首に就任した時点でのPASOKの党首はゲオルギオス・アンドレアス・パパンドレウ首相であった。サマラスとパパンドレウはアマースト大学の学生時代に寮のルームメイトであったが、政界では敵同士となった。サマラスは2012年6月に首相に就任し、2人とも首相を経験することとなった。
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