新劇女優として
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1897年(明治30年)11月9日、大阪府大阪市に生まれる。 1912年(大正元年)9月25日、京都に新設された松竹女優養成所に満14歳で入所、同所の第1期生となる。20人の同期生には、東愛子、和歌浦糸子、富士野蔦枝、衣笠みどり(中退)、可知喜代子、住の江蘭子、三品花子、伊達京子、河原月子、渡君江、小坂きみ子らがいた。『日本人名大辞典』(講談社)には、松竹女優養成所に入った後、1923年(大正12年)に大阪の浪花座で初舞台を踏み、翌1924年(大正13年)に松竹の専属女優となった、との旨の記述があるが、同所の設立時期とは合致しない。1917年(大正6年)に発行された『女優総まくり』(光洋社)によれば、その発行以前の時期に二代目尾上卯三郎、四代目嵐璃珏、六代目嵐吉三郎らの指導による、大阪・堂島座での大阪女優劇『いろいろの望み』に出演、大成功を得たといい、同書の下世話な評価では、美人であるが目が下がり目であるため、スキャンダルにことかかない旨の記述がなされている。 『映画俳優事典 戦前日本篇』(未来社)の盛内政志によれば、松竹女優養成所以降は六代目嵐吉三郎に師事したといい、その後は、花柳章太郎・柳永二郎らが1921年(大正10年)に設立した「新劇座」、喜多村緑郎ら新派本流の「第2期成美団」、井上正夫一座、加藤精一らの「同志劇」、伊川八郎らの「新潮座」といった劇団を転々としたという。「新国劇」をスピンアウトして設立した「国劇第一線座」を主宰する、6歳年上の新劇俳優・小川隆(本名 小川義照、1891年 - 没年不詳)と、この時期に結婚している。
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