映画デビューまで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/12 05:58 UTC 版)
白光は本名を史詠芬といい、1921年に北平(北京)で生まれた。女学校時代に史詠芬は北平沙龍劇団という劇団で、端役ながら新劇女優として曹禺の『日出』などの作品の舞台に立っていた。18歳のときに母親の勧めで大学教授と結婚、子供を生んでいる。しかし、夫が教え子と浮気したことで、子供を置いて離婚。1937年、ちょうど日中戦争が起きたあと、川喜多長政の設立した東和商事が『東洋平和の道』という日本のプロパガンダ映画を制作することとなり、出演する中国人俳優が北平で一般公募された。最終的に男女4人が選ばれ、そのうち女優が史詠芬と、後に満映のスターとなる李明だった。史詠芬は映画デビューにあたり、「映画とは一筋の白い光がスクリーンに映像を映し出すもの」ということから白光という芸名を名乗るようになった。
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