文化的影響およびライブでの演奏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/03 03:26 UTC 版)
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同じ年に発表された「レボリューション」や「ピッギーズ」と同様に、本作も発表当時のアメリカにおいて政治的に憤慨される一因となった。保守派のジョン・バーチ・ソサエティは、本作の「You don't know how lucky you are boy(君たちはどれだけ幸せなことか知らない)」というフレーズを例に挙げ、ビートルズが親ソ連派の証拠である主張した。右翼評論家のゲイリー・アレン(英語版)は、本作と「レボリューション」との平行性を指摘し、「ビートルズはスターリニストで、トロツキストと対立するソビエト政府の立場をとった」と結論付け、ビートルズがソビエト連邦に渡り、中央委員会に対して特別講演を行ったという説をとなえたが、ソビエト連邦がビートルズについて「西洋文化のおくび」というレッテルを張ったことからこの説は弱まった。 なお、楽曲が発表された1968年は、ソビエト連邦がチェコスロバキアを占領した時期にあたることから、音楽評論家のイアン・マクドナルド(英語版)は本作について「機知を欠いた冗談」と批判した。また、右翼団体のみならず、新左翼とされる一部の人物からも批判を受けた。 本作が発表された当時、ソビエト連邦をはじめとした共産主義国家において、ロック音楽を「資本主義による精神汚染」とみなされていた。このため、ビートルズのレコード盤は政府の許可が下りず販売することが出来なかったが、密輸や海賊盤を通じてビートルズの楽曲やスタイルが若者の間に浸透し、もっとも人気の高い作品の一つとなった。これにより、本作がソビエト連邦において演奏できない状態が続いていたが、エルトン・ジョンは1979年に行なわれたライブツアー「Elton John's 1979 tour of the Soviet Union」で、政府の許可を得てソビエト連邦でライブを行ない、このライブの最後で政府の要求を無視して本作をカバー。 1984年7月4日(独立記念日)にマイアミでコンサートを行なったザ・ビーチ・ボーイズは、スターをゲストに迎えて本作を演奏した。 2003年にマッカートニーが、モスクワの赤の広場で開催されたライブで演奏。同ライブでは、ウラジーミル・プーチン大統領の会場入りが遅れたことから、アンコールでもう一度演奏された。
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