文化的な関わり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/23 03:58 UTC 版)
作曲家のモーツァルトは、ムクドリをペットとして飼っていたというエピソードが残され、彼の作曲したピアノ協奏曲第17番の第3楽章には、そのムクドリのさえずりを基にした旋律が主題として用いられているといわれるが、これは別種ホシムクドリについての逸話である。 日本語の椋鳥の語源は「群木鳥・群来鳥(ムレキドリ)」から転じたとする説と、椋の木の実を好むからとする説が存在する。 日本の方言では、モクドリ、モク、モズ、クソモズ、モンズ、サクラモズ、ツグミ、ヤマスズメ、ナンブスズメ、ツガルスズメなど様々に呼ばれている[要出典]。秋田県の古い方言では、ムクドリのことを「もず」「もんず」と呼んでいる[要出典]。 日本では、文学の中にムクドリがしばしば登場する。椋鳥は冬の季語と定められている。江戸時代、江戸っ子は冬になったら集団で出稼ぎに江戸にやってくる奥羽や信濃からの出稼ぎ者を、やかましい田舎者の集団という意味合いで「椋鳥」と呼んで揶揄していた。俳人小林一茶は故郷信濃から江戸に向かう道中にその屈辱を受けて、「椋鳥と人に呼ばるる寒さかな」という俳句を残している。明治時代には、森鷗外が、日本=世界の中の田舎者という意味で、海外情報を伝える連載コラムに「椋鳥通信」というタイトルをつけた。 宮沢賢治の短編童話『とりをとる柳』に「もず」として登場する、千ほどの集団で一斉に木から飛び立つ様子が描写された鳥が、標準和名のモズではなく本種であったと指摘されている。
※この「文化的な関わり」の解説は、「ムクドリ」の解説の一部です。
「文化的な関わり」を含む「ムクドリ」の記事については、「ムクドリ」の概要を参照ください。
- 文化的な関わりのページへのリンク