文化と交易
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/18 01:48 UTC 版)
交易と人口の流動はイベリア半島西部、グレートブリテン島そしてアイルランド島にハルシュタット文化の影響を与えた。ギリシャと交易があったことは、ハルシュタット後期の上流階級の墓からアッティカの黒絵式陶器が出土していることからわかっているが、おそらくマッシリア(マルセイユ)を経由して輸入されたと考えられる。この他輸入された贅沢品には琥珀や象牙、そしてワインも含まれていただろう。ドイツのシュトゥットガルト、ホーホドルフの墓から見つかった赤い染料(コチニール色素)も南からの輸入品によく見られるものである。 定住地の大部分は丘の頂上に位置し要塞化されていた。そこには青銅や銀、金などの細工職人らの作業場があることもしばしばであった。典型的なものにドナウ川(ダニューブ川)上流にある、大きな9基の墳丘に囲まれたドイツのホイネブルクや、ふもとの村ヴィクスで豪華な副葬品が発掘されたフランス東部のシャティヨン=シュール=セーヌ近郊のラソワ山、スロヴァキアのモルピールなどがある。 ハルシュタット末期にかけて身分の高い人物の非常に豪華な墓が、丘砦(きゅうさい)の定住地近くの大きな墳丘の下から見つかっている。副葬品にはしばしば戦車や馬銜(はみ)、軛(くびき)などが含まれる。戦車が出土した墓として著名なものはチェコのビチ・スカーラ、ヴィクス、ドイツのホッホドルフである。またドイツのケルンテン州フロックから鉛製の戦車の模型が発見されている。副葬品には青銅や金で作られた精巧な装飾品やヒルシュテンランデンの戦士のような石像が見られる。 西文化圏の中心地の物資文化は安定した社会的、経済的な均衡を保つのに十分豊かだった。しかし紀元前600年ごろ、ギリシャの植民地マルセイユが誕生し、エトルリア文化が興隆すると、アルプス以北のハルシュタット文化の定住地に長期間に渡って社会的、文化的な変化をもたらしたローヌ川を介した交易が終焉を迎え、強い力を持つ地方の首長が台頭し、地中海世界から入ってくる贅沢品の供給を支配するようになった。これはラ・テーヌ文化にも見られる特徴でもある。なおヨーロッパでハルシュタット時代の青銅器が最も大量に出土しているのはルーマニアである。
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