文化とマラエ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/03 11:44 UTC 版)
今日、モリオリ人が直面した困難にもかかわらず、彼らの文化はチャタム諸島とニュージーランド本土の両方でルネッサンスを謳歌している。このことは、2005年1月にチャタム島の新しいコーピンガ・マラエ(注:マラエとはポリネシアにおける集会所)で平和規約が更新されたことに象徴されている。2016年現在、マラエには800人のモリオリの子孫が登録されており、3000人以上の子供が関連している。コーピンガ集会所とホコメネタイ集会所はチャタム島のワイタンギにある。 2001年、モリオリの言語と歌を保存する作業が始まった。彼らはまた、自らの文化と言語を保護するために、政府から600万ドルの助成金を受けた。アホウドリは、モリオリの文化の中で今も重要な意味を持ち続けている。アホウドリは平和の象徴として、コーピンガ・マラエのデザインにも見られ、その羽を髪につけるモリオリもいる。モリオリ人とンガーティ・ムトゥンガ族の関係は改善しており、非暴力はモリオリの自己イメージの土台となっている。 2002年チャタム島東海岸の土地を国王が購入(Taia財産)。現在は保護区となっており、モリオリ人と国王が共同管理している。また、モリオリ人は島の rākau hokoairo (木への彫刻)の保存にも積極的に関わっている。
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