教育・読書
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「フィリップ・スーポー」の記事における「教育・読書」の解説
スーポーは子ども時代をパリ8区で過ごし、モンソー公園が遊び場であった。1905年から1911年(7歳から14歳)まで8区のカトリック系の私学コレージュ・フェヌロン=サント=マリーに通ったが学業には熱心でなく、むしろその厳格で陰鬱な雰囲気から逃れるように、ダニエル・デフォーの『ロビンソン・クルーソー』やジョナサン・スウィフトの『ガリヴァー旅行記』、シャルル・ペローやグリム兄弟の童話、シャルル=オーギュスタン・サント=ブーヴの小説などを耽読した。 1912年にリセ・コンドルセに入学。相変わらず熱心であったのは読書のみで、ニック・カーターの冒険、怪盗ファントマ・シリーズからフランソワ・ピエール・ギヨーム・ギゾーの歴史書、モーパッサンやアンドレ・ジッドの小説、アルチュール・ランボーの詩まで多岐にわたる書物を読み耽った。そこで、スーポー家の家族会(Conseil de famille)は、より広い教養を身につけさせようと、兄ロベールとともにドイツの家庭に預けることにした。フィリップにとっては、ドイツ語を学び、ドイツ文化に親しみ、ドイツ各地を旅行する機会となったが、反逆児ぶりは変わらなかった。 帰国後にリセ・コンドルセでの学業を継続し、1914年にバカロレアの筆記試験に合格したが、口頭試験で失敗。夏の休暇は家族とロンドンで過ごし、英語を学び、イギリス文学に親しんだ。同年8月2日、17歳の誕生日にドイツ軍がルクセンブルクに侵攻し、第一次大戦が勃発。総動員令が発せられ、長男ロベールは軍医補として、二男ベルナールは胸甲騎兵連隊にそれぞれ配属された。スーポーは他の家族とともにいったんはスペインとの国境に近い南西部のサン=ジャン=ド=リュズ(ピレネー・アトランティック県)に疎開したが、2度目のバカロレア口頭試験を受けて合格したため、リセ・コンドルセ準備級進学のために、一家でパリに戻った。リセ・コンドルセでは哲学を専攻。カント哲学を紹介し、著書『帰納法の基礎』で知られる哲学者ジュール・ラシュリエの弟子に師事し、プラトンやベルグソンを学んだ。
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