政界への再挑戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/08 05:17 UTC 版)
都政に進出した1993年より自らの政治団体・資金管理団体「新都心青年政治機構」を主宰していたが、2001年からは政治活動を自粛していた。2010年より政治活動を本格的に再開し、同年の第22回参議院議員通常選挙においては、「よい国つくろう!日本志民会議」の顧問として[要出典]、松下政経塾以来の同志であり「新しい歴史教科書をつくる会」の全面支援を受けた、日本創新党の山田宏・中田宏らを応援した。 参院選終了後は2010年11月14日執行の新宿区長選挙への立候補を目論み、「チャレンジ! 山崎泰とチーム21」名義で、前原誠司、松沢成文、玄葉光一郎、蓮舫らと連名のポスターを新宿区内に大量に掲示して、また主要駅頭で辻立ちも行っていた。しかし期待していた民主党の推薦を得られず、10月25日に正式な出馬表明を見送ることを発表した。このため3期目を目指すオール与党現職の中山弘子と、共産党推薦無所属の松ヶ谷匡男に対し、山下万葉が独自の戦いを展開する形になった。現職の中山弘子が3選される選挙結果となったが、投票率は26%台と、3回続けて20%台という低投票率が続くこととなった。 2012年11月22日、衆議院議員選挙において、日本維新の会・埼玉県選挙区第6区から公認を受けるが、公認辞退。2013年3月30日、大阪で行われた党大会において、日本維新の会参議院比例区第43支部長に就任。同年7月の第23回参議院議員通常選挙で同党比例代表の第一次公認候補となった。「『依存』から『自立』へ!」をキーワードに、全国各地での啓蒙活動を展開したが、同選挙では開票の結果、維新の比例候補者30名中個人名票獲得による非拘束名簿順位6位までが当選するが、山崎は15位(18,130票)となり落選した。
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