改元に至る経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 04:16 UTC 版)
当時の天皇であった明仁が譲位の意を示したのは2010年(平成22年)7月22日とされており、2016年(平成28年)8月8日に宮内庁は、その前日に撮影した、当時82歳になる天皇からのビデオメッセージを公表。それによると、自らの高齢化により今までのように公務が果たせなくなることを懸念し、「公務が途切れることなく安定的に続くことを望む」との趣旨で正式に発言し、その前に皇太子徳仁親王(当時)に皇位を譲りたい趣旨の叡慮を示した。 これまでの改元時とは異なり、OA化、インターネット化が進んでおり、新元号への対応準備の期間を確保する必要があることから、憲政史上初めて新元号が改元の1か月前となる2019年(平成31年)4月1日に「事前公表」された。「令和」のローマ字表記は「Reiwa」。政府高官によると、近現代の「明治(Meiji)」「大正(Taisho)」「昭和(Showa)」「平成(Heisei)」と同じ頭文字となる「M、T、S、H」の各案は当初から除外したという(詳細は「#備考」を参照)。 新元号決定に関する公文書は、「公文書等の管理に関する法律」により「30年間の非公開期間」が設定される。また、元号発表時に掲げられた「墨書」も同様に公文書と扱われ、2021年(令和3年)3月末まで内閣府で保管された後、同年4月以降は国立公文書館に移管、永久保存されることとなった。これは平成への改元時に掲げられた墨書が一時、首相・竹下登の私物となり、しばらく一般には所在不明となっていたこと(「平成#発表」を参照)の反省によるものとされる。
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