採掘計画から公園へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/06 06:20 UTC 版)
「本部半島カルスト地域」の記事における「採掘計画から公園へ」の解説
アメリカ軍統治時代の当地では岩石採掘が行われていたが、日本復帰後において、海洋博開催前に景観保全を理由に採掘が中止となった。1991年(平成3年)、山里における砕石工場の建設計画に周辺住民は反対、本部町長に要請文を送付した。2000年(平成12年)、採石場建設計画が再び進められたが、住民の反対により取り下げられた。2002年(平成14年)に、今帰仁村今泊でも採掘計画が浮上したが、住民の反対により中止となった。 1999年(平成12年)、本部町は公園化に向けた調査を行い、翌年の採石場建設計画を受け、公園の実現を目指して推進するとした。本部町と今帰仁村は沖縄県に公園指定を要請、2005年(平成17年)、沖縄県は編入計画案を環境省へ提出、翌年の3月28日に沖縄海岸国定公園へ編入された。カルスト地形を望み、今帰仁城を巡る「ふれあい自然公園」と位置づけられ、本部町山里に博物展示施設や野営場、今帰仁村今泊には今帰仁城と集落を通る遊歩道の設置計画が追加された。 当地域を含む本部半島を中心とするジオパーク構想が立てられ、日本ジオパークネットワーク準会員から正会員への申請手続きがなされた。2013年(平成25年)8月に日本ジオパーク委員会による審査が行われたが、結果は「見送り」となった。
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