承認と宣言
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/17 05:46 UTC 版)
独立宣言文は脇に置かれたまま、独立決議について数日間にわたって討議された。リー決議案の独立条項の採決は、7月1日の全体委員会での採決まで延期されていた。サウスカロライナ植民地の要請により、全会一致を期待して、決議案の採決は翌日に回されることになった。試しに投票してみたところ、サウスカロライナ植民地とペンシルバニア植民地が反対し、デラウェア植民地は2名の代議員の間で意見が割れた。 投票は7月2日に行われたが、前日から投票までの間に重要な変化があった。エドワード・ラトリッジがサウスカロライナ植民地の代議員に賛成するよう説得し、ペンシルベニア植民地の代議員2名には欠席するように説得した。シーザー・ロドニーはデラウェア植民地で反対していた代議員を徹夜で説得した。これにより、13植民地のうち12の植民地はリー決議案を承認した。ニューヨーク植民地の代議員は、独立に賛成するように指示されていなかったため投票を棄権したが、ニューヨーク植民地議会は7月9日に「他の植民地と一緒に独立を支持する」ことを決議した。 リー決議案の可決は、当時、北米植民地がイギリスから独立する決定的な宣言であるとして報じられた。『ペンシルベニア・イブニング・ポスト(英語版)』は、その日の夜に次のように報じた。 This day the CONTINENTAL CONGRESS declared the UNITED COLONIES FREE and INDEPENDENT STATES. 日本語訳 今日、大陸会議は連合植民地が自由で独立した国であることを宣言した。 『ペンシルベニア・ガゼット(英語版)』は翌日朝に次のように報じた。 Yesterday, the CONTINENTAL CONGRESS declared the UNITED COLONIES FREE and INDEPENDENT STATES. 日本語訳 昨日、大陸会議は連合植民地が自由で独立した国であることを宣言した。 7月2日に独立決議を可決した後、大陸会議は独立宣言文の作成に着手した。リーの独立決議文の文言を加えるなど、大陸会議は独立宣言文にいくつかの変更を加えた。そして7月4日、独立宣言文の最終版が大陸会議で承認され、印刷に回された。 ジョン・アダムズは、7月3日に妻のアビゲイルに独立決議について手紙を書いた。 1776年7月2日は、アメリカの歴史の中で最も記憶に残るエポックとなるでしょう。私は、この日が後世の人々によって盛大な記念日として祝われるだろうと信じています。全能の神に捧げる厳粛な行為によって、この日は解放の日として記念されるべきです。華やかなパレード、ショー、ゲーム、スポーツ、銃、鐘、かがり火、イルミネーションで、この大陸の端から端まで、この時から永遠に荘厳に祝われるべきです。 アダムズの予測は2日ずれていた。アメリカ人は当初から独立記念日を、独立決議が採択された7月2日ではなく、独立宣言が承認された7月4日に祝った。
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