所属参議院議員
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山本正和 社民党副党首・参院議員会長。2001年に、参議院において、社民党に、自由党と無所属の会などを加えた統一会派づくりを進めていたところ、福島瑞穂幹事長の反対によって、統一会派作りが頓挫した。党での身の置き場を失った山本は同2001年12月25日に自ら離党し(後に除名処分)、単身、無所属の会に加入した。結局統一会派は「国会改革連絡会(自由党・無所属の会)」として翌2002年に結実した。2004年(参議院議員選挙に不出馬で)政界引退。 堂本暁子 日本社会党から平和裏に新党さきがけに移籍、最後は新党さきがけ議員団座長(実質的な代表)を務めた。参議院クラブを作った後無所属の会を結党。2001年千葉県知事に転出(2期務めた後、再々出馬せずに政界引退) 松岡満寿男 松岡洋右(第2次近衛内閣の外相)の甥の息子。細川護煕(近衞文麿の孫)とともに日本新党を結党し、日本新党代表幹事として細川に仕えた。新進党には細川とともに結党時から参加。1996年衆院選挙で落選。1998年に再度参院に完全無所属で出馬し当選。政党「無所属の会」には結党時から加わる。政党「無所属の会」幹事長。参院院内会派「無所属の会」(2003年版)の代表を務めるも、それから3か月経たない2003年11月の総選挙後、無所属の会を離党し、2003年12月に民主党に新たに入党。2004年(参議院議員選挙に不出馬で)政界引退。 島袋宗康 沖縄社会大衆党委員長、第二院クラブ代表。2001年参院選挙で、第二院クラブの議員が(離党されてしまったため)本当に自分ひとりになってしまったため、かつ当時自由連合と院内統一会派を組んでいたものの、その自由連合の参院議員が落選で一人もいなくなってしまったため、政党としても会派としても一人になってしまった(無所属と同じ)。そこで無所属の会・自由党の統一会派「国会改革連絡会」に加わり、かつ、社会大衆党、第二院クラブを存続させたまま、政党としての「無所属の会」にも入党した。2004年(参議院議員選挙に不出馬で)政界引退。 水野誠一 鳩山由紀夫から請われて新党さきがけに入党し、参議院議員となる。新党さきがけ政調会長。参議院クラブを作った後無所属の会を結党。2001年「静岡空港反対」を掲げて静岡県知事選挙に出馬したが落選。そのまま政界引退。水野に勝ったのは静岡空港を積極推進する現職(当時)石川嘉延であった。 岩本荘太 1998年、民主・自由・社民・さきがけにより推薦された無所属候補(反自民統一候補)として、参議院議員選挙で自民党現職を破り当選を果たす。議員就任後は推薦したどの党にも入党せず、無所属の会に入党した。妻の介護を理由に、2004年(参議院議員選挙に不出馬で)政界引退。
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