戸隠事故
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 05:37 UTC 版)
ところが、ようやく会社再建に着手した矢先の1972年9月23日、長野県上水内郡信濃町の県道で戸隠神社行のバスが50メートル下の鳥居川に転落大破するという大事故が発生した。観光客で混雑していたこともあり、15人が死亡、67人が負傷という大惨事となった。 ダンプカーとすれ違いの際の運転ミスとしてバスの運転士が起訴されたが、事故の発生した県道は幅4.6メートルと大型車両のすれ違いがかなり困難な未舗装道路で、ガードレールの設置もされていなかったことから、事故の誘因は危険な道路を放置していた道路管理者の責任という弁護側の主張もあった。 被害者のほとんどが長野県外在住者であったことから合議制が取り入れられ、1977年に長野地方裁判所は運転士の有罪判決を言い渡した。しかし、1979年に東京高等裁判所が新たな鑑定結果から一審判決を破棄、事故の原因は運転士の過失ではなく道路の欠陥にあるとして、逆転無罪判決を出した。検察側の上告はなかったため、運転士の無罪は確定した。 この判決を受けて、川中島自動車では道路管理者である長野県に対して、既に遺族や負傷者に支払った補償金から自賠責保険相当額を除く3億円の支払いを請求した。長野簡易裁判所により、バス会社の損害額の6割を長野県が負担すべきという調停案が提示され、合意に至った。 これらの裁判や補償も、再建途上の川中島自動車にとっては重荷となったといわれている。
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