戸隠往来
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/07 20:39 UTC 版)
「長野県道36号信濃信州新線」の記事における「戸隠往来」の解説
「戸隠往来」は、北国街道の柏原宿から戸隠を経て鬼無里へ至る街道である。柏原と戸隠の間では、飯縄山の南麓をまわる「表通り」と、北麓をまわる「裏通り」があった。この「裏通り」が現在の県道36号のルートに相当する。 山間のため品質の劣る鬼無里産の作物は安値で買い叩かれる一方、塩など外から持ち込まれる物資は割高だった。戸隠や鬼無里へ塩がもたらされるルートには大きく2通りあり、北国街道の柏原宿からのルートと、鬼無里から裾花川を遡り、奥裾花渓谷から山越えをして越後国の関川宿へ出るルート(現在は道が通じていない)があった。このうち越後国の宿場の商家は劣悪な塩を割高な相場で売りつけるため、鬼無里の村民は戸隠を経て柏原宿で塩を買い付けるほうを好んだ。柏原宿では直江津から塩や農産物を仕入れており、長野方面を経由しないで戸隠・鬼無里へ直送できる戸隠往来を利用した。 明治時代になって関所が廃され、交通が自由になると、松代藩では1870(明治3)年に戸隠往来の裏街道(「戸隠裏道」)を整備した。これにより、「表通り」よりも大幅に距離が短縮されて荷駄賃が節約できるようになったうえ、冬期の通行もできるようになり、物資の買い付け・輸送の便が大いに向上した。のちに県内の道路網が整備されてゆくと、戸隠裏道は「戸隠線」と呼ばれ、重要路となっていった。 古くは、戸隠や鬼無里は冬期の往来が不可能になるため、毎年冬の前になると越冬のために大量の物資を買い付けていた。その輸送の人馬の往来によって折橋や大久保といった「表通り」の沿道の村が栄えていたが、「裏通り」が冬も通れるようになったことで、これらの村々は重要性を失っていった。
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