成田空港内での居住
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/05/30 00:20 UTC 版)
馮のパスポートは3年間有効で、日本の在留許可・再上陸許可は、2010年(平成22年)6月30日まで有効である。日本では、日本人と結婚し千葉県内に住む妹の家に世話になっていた。2009年(平成21年)11月9日に、中華人民共和国への帰国を試みるが、入国審査で上陸を拒否され日本に送還された。その後、中国政府への抗議として、日本への入国審査を拒み、成田国際空港の到着ロビー制限エリア内での生活を始めた。 馮は「私は中国国民だ。帰れないのはおかしい」「4日夜から寝てないが、中国の法律と人権を守るためにも、一生懸命頑張る」と主張した。この抗議活動は日本だけでなく、ヨーロッパや香港などのマスメディアの関心も集めた。 制限エリア内には、外部から食料を持ち込むことができず、馮は日本の家族から、食料や下着などの差し入れを受けたほか、通りがかりの旅行者からも、時折物的支援を受けた。また、運送責任がある航空会社や、チベット独立を支援する香港の学生活動家などからの支援もあったという。Twitterのフォロワーは1万4000人にも達した。 通常、成田国際空港の旅客便発着が無い深夜早朝は、制限エリア内は入管職員が無人となるが、馮が何時でも日本に上陸できるようにとの配慮で、東京入国管理局成田空港支局では、24時間体制で職員が待機した。また毎日、東京入国管理局の職員が、日本への上陸を促す文書を馮に手渡していた。 駐日本国中華人民共和国大使館の関係者が、馮の帰国を許可する意向を伝えてきたとして、2010年(平成22年)2月2日に抗議運動の終了を表明。一旦日本に入国後、千葉県にある妹の自宅に身を寄せ、再び中国への帰国を試みた。
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