感染・死去に至る経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 07:29 UTC 版)
2019年12月末、初期の乳がんと診断され手術を受ける。 2020年1月末 - 2月中旬、がん治療の一環で放射線治療を受ける。 4月3日、定期検査のために自宅近くの検査専門のクリニックを受診。CT検査をすると肺にうっすら影が見つかり、新型コロナウイルス感染の疑いが生じる。しかしこの時点では発熱はなく、4 - 5日様子を見るようにと医師から指示を受ける(発熱4日間ルールが守られていた時期のため)。帰宅後、発熱(微熱)。この日、夫の大和田獏は、舞台の地方公演で不在だった。 4月4日、事務所関係者が岡江と電話で会話。「咳が出る」と話す岡江を心配すると、「大丈夫」と答える。外に出ないようにという助言にも、「じっとしてる」と頷いたという。 5日、大和田の舞台の奈良公演が新型コロナウイルス感染拡大のため中止になり、急ぎ帰京する。このとき大和田も発熱の症状があったが、岡江の濃厚接触者には当たらないと保健所は判断。帰宅後は岡江とは寝室を別にするなどの対応をとる。 6日朝、岡江の容態が急変。大和田がすぐに主治医に連絡し、主治医が受け入れ先を探し、東京都内の大学病院に緊急搬送された。この時点では会話ができる状態で、入院直後も大和田とLINEでやりとりをしていたが、集中治療室に入り人工呼吸器を装着してからは連絡は一切取れなくなった。そしてPCR検査を実施。大和田が直接岡江の顔を見たのも、会話したのもこの日が最後となる。 7日、大和田がクリニックに出向き検査を受け、異常なしとの結果が出る。 8日、岡江のPCR検査の結果が陽性と出る。大和田は自身が濃厚接触者ではないとは言い切れないと考え、この日から自宅にこもり誰とも接触せずに一人で過ごす。食事などは娘の大和田美帆が玄関前に届けた。この頃、大和田は、「岡江はこの3日間くらいがヤマで、いつ亡くなってもおかしくない状態」ということを既に医師から告げられていた。 23日午前5時20分、死去。病院から大和田に電話で岡江の死が伝えられたが、感染対策のため、家族や関係者が臨終に立ち会うことは叶わず、夫の大和田のみ特例でガラス越しに顔を見ることが許された。
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