役割分担問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/21 07:10 UTC 版)
務安国際空港は木浦空港・光州空港を置き換える空港として計画されたが、光州側の反対により、開港後しばらくの間は、務安・光州のそれぞれで国際線・国内線が運航される状況が続いていた。2008年5月に光州空港発着の国際線が務安に統合されたことにより、問題の一部は解決したものの(→歴史)、その後も両者の役割分担をめぐって議論が続いている。 国際線の務安移転以降、光州市もまた務安の活性化を推進する立場となったが、光州市は務安活性化に積極的な姿勢を見せなかった。2008年12月には光州市が光州-仁川線の就航に動いていると伝えられ、務安を無視する試みとして務安側の批判を浴びた。光州市はシンガポールの航空会社タイガーエアが仁川市と共同で設立を計画していた仁川タイガー航空に対して光州-仁川線の開設を打診していたが、仁川タイガー航空は他社の反対もあり、設立に至らなかった。 2009年6月には監査院が韓国空港公社を対象とした監査において、務安国際空港と光州空港の同時運営は非効率だとして、国土海洋部に務安への統合を勧告した。しかし光州市は2014年に予定されている湖南高速鉄道高速新線の光州乗り入れまで、国内線の務安移転を行わないよう国土海洋部に要請した。10月には国際線の運休・減便は務安移転が原因だとして、光州側経済団体が光州空港への国際線再就航を求める動きに出た。これには務安郡や全羅南道、木浦財界などが反発、運動の中止と国内線務安移転の履行を要求したが、2010年には光州市自らが国際線の再就航推進に加わり、対立が解決する見通しは全く立っていない。 また2008年には全羅北道の群山空港が国際化の方向を打ち出し、務安との間で対立が起きている。群山空港は1992年、民間航空機の就航が再開された際に施設を管理する米軍と結ばれた協定により国際線の運航が認められておらず、それまで国際空港としての利用は行われていなかった。しかし、セマングムの有効活用を図る目的で、群山空港の国際線就航と施設拡張が主張されるようになり、米軍との協定改定に向けた交渉など、国際化に向けた具体的な作業が行われている。務安国際空港は全羅北道・全羅南道を合わせた湖南圏全体の拠点空港として位置付けられてきたこともあり、全羅南道は群山の国際化の動きに反対している。 一方、光州空港は空軍との共用であり、市街地に位置することから、戦闘機の発する騒音が大きな問題となってきた。これに対して軍機能を郊外の務安に移転し、問題を解決するよう求める意見が光州空港地元の光山区などから出されており、国防部による移転検討が数回にわたって伝えられている。しかし務安郡は軍機能移転に強く反対しており、民間航空機能とは逆の図式となっている。
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