弁慶ゆかりと伝えられるもの
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/25 16:09 UTC 版)
「武蔵坊弁慶」の記事における「弁慶ゆかりと伝えられるもの」の解説
弁慶の墓(岩手県平泉町) 中尊寺表参道入口前の広場に、竹垣に囲われた松の生えた塚があり、その根本に弁慶の墓と伝わる五輪塔が立っている。傍らには中尊寺の僧・素鳥が詠んだ「色かへぬ 松のあるしや 武蔵坊」の句碑が建つ。「伝弁慶墓」の名で、中尊寺境内の一つとして特別史跡に指定されている。 弁慶石(京都府京都市) 中京区三条通麩屋町東入(御幸町との間)の歩道脇にある石。男の子が触ると力持ちになる等という言い伝えがある。この他にも7つ、全国で8つ弁慶岩と呼ばれるものが存在する。すべて弁慶が平泉に渡る旅路にあり、弁慶が運んだ、弁慶が座った、弁慶が刀で切った、比叡山から弁慶が投げ飛ばしたなどの伝承がそれぞれに残っている。 弁慶のお手玉石(同上) 丸みのある岩で、お手玉代わりに投げたとされる。 弁慶七戻り(茨城県つくば市) 弁慶の手掛石(長野県佐久市安原) 弁慶が背負った石。手を掛けたとされる跡や、縄の痕跡がある。 弁慶あぶみ石(長野県佐久市下平尾) 弁慶が浅間山と平尾山に足をかけ弓を射た足形とされるものがある。 弁慶腰掛の松(長野県御代田町真楽寺) 弁慶は寺を参拝した際、松の木に腰かけたという。 弁慶塚(神奈川県茅ヶ崎市、藤沢市) 茅ヶ崎市の鶴嶺八幡宮参道脇と藤沢市の常光寺裏手にある、弁慶の墓と伝わる塚。 弁慶の油こぼし(山形県鶴岡市) 羽黒山にて、弁慶があまりの勾配に奉納する油をこぼしてしまったことによる。 弁慶の足跡(北海道檜山郡江差町) 義経と共に蝦夷地(現在の北海道)に逃げ延び、江差にいたという伝説が伝わっており、江差町の鴎島にある岩の2つの窪みが、弁慶が付けた「弁慶の足跡」と伝えられている。 弁慶の力石(同上) 上記の「弁慶の足跡」と共に「義経伝説」として、現在の江差町・鴎島の鴎島灯台下部あたりに、同じ鴎島にある瓶子岩とほぼ同じ10mほどの大きさの巨石がかつてはあり、弁慶が鍛錬に使っていたと言われていたが、昭和9年(1934年)の函館大火の日に発生した高波でさらわれたと伝えられている 弁慶の土俵跡(北海道寿都郡寿都町) 同町字政泊町にあり、アイヌの力自慢と相撲を取った場所とされ、石碑と案内板の設置がある。近辺の岬は「弁慶岬」と呼ばれ、「武蔵坊弁慶」の銅像が建ち、設置されている灯台も「弁慶岬灯台」と名付けられている。 弁慶の刀掛岩(北海道岩内郡岩内町) 雷電海岸にある雷電岬の岩の一部が刀掛のような形をしている物。「義経伝説」として、逃げ延びてこの地に来て休息を取っていた弁慶が、腰の太刀が邪魔になった事からこの場所の岩の一部を自慢の力でひねってそこに太刀を掛けて置いたという話が伝えられている。現在は国道229号の「刀掛トンネル」 - 「カスペトンネル」の間が弁慶の刀掛岩を望める最も近い場所となっている。 弁慶の薪積岩(同上) 上記「弁慶の刀掛岩」に程近い、国道229号「カスペトンネル」 - 「弁慶トンネル」間にある岩。弁慶が暖を取るために木を切り倒して積んで置いた薪が化石になったと伝えられている。 弁慶の墓 弁慶石 藤沢市の弁慶塚 江差町鴎島にある、弁慶の足跡と呼ばれる窪み 江差町鴎島・鴎島灯台の裏側、この中腹あたりに「弁慶の力石」があったと伝えられている
※この「弁慶ゆかりと伝えられるもの」の解説は、「武蔵坊弁慶」の解説の一部です。
「弁慶ゆかりと伝えられるもの」を含む「武蔵坊弁慶」の記事については、「武蔵坊弁慶」の概要を参照ください。
- 弁慶ゆかりと伝えられるもののページへのリンク