平姓白岩氏とは? わかりやすく解説

平姓白岩氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/17 02:35 UTC 版)

白岩氏」の記事における「平姓白岩氏」の解説

白岩氏新庄藩戸沢家安永年間編纂された『戸沢系図書』における家臣団内訳で、戸沢氏のかつての盟主盟友であった国人領主末裔として楢岡氏小野寺氏山内氏)、本堂氏と共に御客分之衆と称されている。 居城白岩城現在の秋田県仙北市角館白岩)。 白岩城菅江真澄の『月の出羽路仙北郡によれば前九年の役の折に宮藤氏拠点としたのが始まりという。後の鎌倉時代平姓称した下田氏領するところとなったとする。下田白岩)氏の家伝では代々秋田城介に任ぜられ、後三年の役下田重康が戦功挙げたとされるその後年代定かではない下田盛国が白岩城居住したという。 南北朝時代以降仙北郡勢力伸ばした戸沢氏抗争したが、下田盛忠が戸沢氏和し戸沢久盛の室は盛忠の娘であった戸沢寿盛の母)。以後戸沢氏宿老格の盟友となっていく。 享禄2年1529年)には戸沢氏内紛で、まだ幼い戸沢道盛から叔父戸沢忠盛家督奪取しようとしたが、外戚楢岡氏六郷氏本堂氏らの国人衆下田氏結束して圧力をかけ、天文元年1532年)に忠盛淀川城退去することで決着させている。天文10年1541年)からの小野寺氏仙北攻略では、岡、六郷本堂氏らと戸沢氏救援している。 天正年間には天正14年1586年)の阿気野の合戦小野寺義道と、天正15年1587年)には唐松野の合戦安東愛季小野寺戸沢連合で、それぞれ戸沢盛安配下として参戦した天正18年1590年)の豊臣秀吉奥州仕置により戸沢三十五城呼ばれた城砦廃城となり、その一つとして白岩城破却された。天正19年1591年)に白岩下田)盛正が大坂上った現地死去したという。 白岩盛家は慶長7年1602年)の戸沢氏常州松岡藩への転封家臣として付き従い元和8年1622年)の新庄への転封以降重臣として続いた

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